精力剤のひとつに「オットセイ」のエキスがありますが、中国では漢方として、日本では縄文時代の貝塚からもオットセイの骨の化石が見つかっていて食用とされていたようです。
江戸時代にも、精力剤、食用ともに重宝されていたようで、徳川幕府には蝦夷地から薬剤として献上されていました。
●肉を切取り味噌汁にて煮る。全体に右の功能にてはなし。外腎臍を連て切り、これを用て功能益あり。
これは、「肉には精力剤としての功能がないので、味噌汁に入れて食べるが、外腎と臍(へそ)は精力剤として効き目がある」という意味で、1687年(貞享4年)の「食用簡便」という文献に載っているものです。
庶民の生活に溶け込んでいる様子がわかりますね。
「オットセイ」っていうのはペニスの名称だった!?
そもそも「オットセイ」という名前は、この動物のペニスの名前でした。アイヌ語の「オンネプ」が、中国語の「膃肭」になり、「膃肭」のペニスを「膃肭臍(オットセイ)」と呼んでいたわけです。
オットセイは精力絶倫の動物で、1頭のオスに対して100頭のメスを従えています。このようなイメージから名前もペニスの愛称で呼ばれるようになったのかもしれません。
●膃肭臍(オットセイ)とは其陰茎なり。オットセイと云と時珍いへり。
「オットセイとは、オットセイのペニスの名前である。いつの間にか「オットセイ」と言うようになった」ということが、1708年(宝永)の「大和本草」という文献にも書かれています。
実際、オットセイの陰茎や睾丸には、アルギニンやカロペプタイドなどのアミノ酸が多く含まれているようで、勃起不全に効果的だそうです。
江戸時代の超強力精力剤
江戸っ子たち庶民の間では、「一粒金丹(いちりゅうきんたん)」という名前でオットセイの薬が流通していたようです。これは丸薬で、今でいうサプリのことですね。現在の北海道である「蝦夷地」から、現在の青森である「津軽藩」や「松前藩」が原料を調達して調合、江戸中期に江戸まで流通するようになっていたようです。
これは、オットセイの他に、
・阿片
・ジャコウ鹿の生殖腺嚢
・中国産の蚕
・水銀と硫黄が化合した鉱物
などの粉末を混ぜて作った丸薬で、
●諸虚を補ひ精気を益。大抵ハ半月十日に一丸を服す、躰さかんの人ハ、四季に一丸を服す。
ということで、「虚弱症に効き、精気を増進させ、半月か10日後に1粒飲めば効果あり。健康な人は3ヶ月に1粒飲めばよい」という強力なものだったようです。1735年(享保20年)の「続江戸砂子」に文献が残っています。水銀や硫黄も混ざっているのが気になりますが、現代人が飲んだらどうなるでしょうね。
まとめ
オットセイは北国の動物ですが、中国の漢方の技術や、蝦夷、津軽などのルートを経て、遠く江戸まで精力剤として流通していました。それは、江戸という場所にそれだけのニーズがあったからです。それだけ、江戸っ子たちは性を謳歌していたということですね。
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